新渡戸稲造に学ぶ

言葉

われ太平洋の架け橋とならん (1883年9月東大に入学するとき面接官で当時文学部長の外山正一との会話)

学ぶ者の心に深く浸潤し、人柄に表われるようになって初めて、知識は真の知識となる (新渡戸稲造辞典, p294, 教文館)

人間は、それぞれ考え方や、ものの見方が違うのが当然である。その違いを認め合い、受け入れられる広い心を持つことが大切である。 (武士道)

武士道は知識を重んじるものではない。重んずるものは行動である。(武士道)

大学に入つて何の職業に就(つ)いて、何ほどの月給をもらふかなどといふことは、抑々(そもそも)末のことで、もつと大きなところへ到達しなければならない。(新渡戸稲造「内観外望」『新渡戸稲造全集 第6巻』所収、1969年、教文館)

武士の訴えてきた使命よりも、もっと気高く、もっと幅広い使命が今日、私たちに要求されている。 (武士道 奈良本 辰也訳 ビジュアル版 対訳 武士道 三笠書房)

人生

新渡戸稲造博士は文久2(1862)年8月3日(新暦9月1日)盛岡に生まれました。この頃から生涯の親友となる内村鑑三(キリスト教思想家)、宮部金吾(植物学者)らと親交を深めます。その後、父祖の志を継ぎ農学を修めるため、明治10(1877)年、内村、宮部とともに札幌農学校・現在の北海道大学に入学しました。東京大学に在籍後、ジョンズ・ホプキンス大学(米国)、ボン大学・ベルリン大学・ハレ大学の三校(いずれもドイツ)の留学を経て、明治24年に札幌農学校の教授となります。明治27年には勤労青少年のための遠友夜学校(えんゆうやがっこう)を設立。名著『武士道』が書かれたのはこの頃です。大正9年には国際連盟事務局次長に就任し、国際間のかけ橋となる仕事をしました。

1879年札幌農学校時代の新渡戸稲造(17才)
北海道大学附属図書館所蔵
1886年ジョンズホプキンス大学時代の新渡戸稲造(24才)
北海道大学附属図書館所蔵